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やっぱり「もののふ白き虎」が素晴らしかったなっていう話。

こんばんは。前回の記事をツイッターに投稿したところ思いの外リツイートやらなんやらされていて、驚きと共に同じような事を感じている方が多いことを知って嬉しいです、「もふ虎」シック起きてますか、私はおきてます。。あと、結構和助の「死番」についてコメント反応があってそれを知った後にもう一度観る時にまた違った見方が出来るのかなと…教えてくれたのは同公演観てた知り合いの方です、ありがとうございます。

 

そして「もののふ白き虎」大千秋楽を迎えました。

 

言いたい事は沢山あるのですが、前回の記事

kobayatheta.hateblo.jp

その中で最後の方にこう書いてたんですよ、私…

あと、劇中で流れるvagueの「憧れの背中」の音源化を切望しているので関係者各位よろしくお願いします、劇場で売ってたりするかと思ってたヨー!(泣)

 

そしたら……

劇中歌、配信決まったってよ!!

もうご存知の方も多いだろうが念のため紹介しておきます。

これでいつでもどこでも「もふとライフ!」(もふ虎とライフをかけて…んんn)

ただ、これitunesとかそういうところからの配信ではなくてZip形式のダウンロードなので、itunesの更新をここ最近してない&PCの容量が足りないためにIpodtouchに落とせないんじゃないかっていう不安がありまして…聞いたら泣くから家で聴けってことなのかなそうかな。

ためしにこのブログ書きながら「憧れの背中」を流して見たんだけど情景が浮かんできてタイピングをする指が止まる…これは危険な作業用ソング…。

 

で、今回追記のような形で記事を書くに至った理由としては「もふ虎シック」が抜けないというのと劇中歌が配信決定された嬉しさと、先ほど終了した大千秋楽を観た方のレポの衝撃が強すぎたから。

 

 そして今更なんですが私の中のもふ虎観劇千秋楽は東京楽日で終わっていますので名古屋も大阪も観てない癖に!と思われた方はそっとブラウザを閉じてください。行けるものなら行ってた……新幹線乗ってたはずなんだ…。異国の地から名古屋、大阪の観劇レポ観てました。今、時差ボケと戦いながら書いてます

 

大千秋楽だけの演出、一幕は基本的に笑えるシーンでの追加演出が多かったみたいで。

ライザップネタに関しては東京9月19日夜公演を私が観に行った時はやっていて(容保様自らのBGMは無し)それ以来は無かったので大楽にて復活かな?という印象です。

そして相撲のシーンでついに世界の均衡が崩れた!と感じました。

 

この言葉だけ聞くと悪い印象として捉えられてしまうかもしれませんが、あくまで良い意味での世界の崩壊だと思っています。実はこの話、前回書こうとしてやめたところでもあったのですが大楽が終わった今、自分なりに書いてみようかなと思います。

 

こちらのシーンはざっくり言うと頼母が稽古として相撲をする、と言い出して(かつて新撰組は関取相手に相撲をとった→勝った)、白虎隊の子達と相撲を取るという流れです。

新撰組、関取」とかでググると沢山ページが出てきます、知識乏しい身としてはオリジナルの話だと思ってたので教えてもらってびっくりしました…こんな史実も残っているんだね新撰組

 

で、「もふ虎」の劇中においては頼母様と白虎隊たちがワーワーと相撲(と言えるのか否か)をとっているわけですよ。そこに第三者の目、そう…齋藤一が観ているわけです。我々観客と同じ目線だと思っていいと思います。あくまで飯沼貞吉が語る物語を聞いている、観ている(舞台上で視覚化されている)わけですから…本来ならその場にいないはずなのです。でも、今日は違った…

斎藤さん、相撲に乱入。

レポ観てたら「斎藤さんが何故か酒を下ろして準備運動してたと思ったら乱入した…」というのが目に入って入りたかったんだね、ずっとうずうずしてたんだね、だってその話題になると嬉しそうに手あげてたもんね!という気持ちになった。

 

で、

貞吉に怒られる。

「斎籐さん駄目でしょう!あなたは見えない設定なんだから!」とかそういう感じで。

※レポ掻い摘んでいるのでセリフに関してはニュアンスで感じ取って下さい。

 

 この乱入についてははメタなのか第四の壁なのか…多分もっと良い言葉があるのでしょう…ボキャ貧困ったものだ。

 

そして二幕。

実は前回書きたかった、というのが土方の最期のシーンな訳です。東京公演途中からも追加演出があったし物語の佳境というのもあってネタバレ記事ではありながらも書くのを戸惑っており、そして私自身あのシーンを解釈するのに時間がかかりすぎていたというのもあります。そして今でもはっきりしないのです。というのも、あのシーン(頼母と杯を交わし、五稜郭へ向かうとの旨を伝え舞台の檀上を進んでいく)一体誰の視点で描かれているのか謎なのです。(何度も言いますが個人的な解釈です)

この時点で貞吉の観た(経験した)場面ではないのはあきらかだと思います、彼は今回は鑑賞者です。では誰か…この場面だけに関しては誰の目線でもない、普通に映画を観るような…その場面のどこかにカメラがあってそこから覗き込んでいる、と捉えた方がわかりやすいかもしれません。

 

斎藤一から観た土方の「さいご」

斎藤は貞吉にこう言いました「俺も離れているときだったからなぁ」「後で頼母さまに教えてもらった」これは斎藤は自身の目で土方の最期…それどころか北(五稜郭)へ向かったあとの彼を観ていないと捉えることが出来るはずだ。斎藤にとっての土方を「さいご」に見た明確な描写は今回描かれていません。

 

西郷頼母から観た土方の「さいご」

「後で頼母さまに教えてもらった」というセリフがあるように、頼母は土方の「さいご」を知っている。ただそれは頼母にとって生きている土方を「最後」に見たシーンなのか、「最期」を見たのかは、あの描写だけだと少し曖昧な気もする…。土方が凶弾に倒れるという明確な描写はされておらず、「新撰組副長として戦場へ赴く土方歳三」というような演出だったからだ。(舞台において全てをひとつひとつ丁寧に描く必要は無い、今回のシーンで言えば誠を背に背負って一段一段、銃弾の音が響く中檀上を登る姿が暗に土方の死を連想させるものとして表現しているかもしれないからだ)

 

 ①と②、どちらがあの場面を描く視点に近いのかと考えた際、明らかに②「頼母からの視点」として描写されていると考えるだろう。だが、ここで疑問が生じます。

これまで「もふ虎」は

貞吉と斎藤が語りをする(現在)、

どちらか一方が観た(経験した)話(過去)

を舞台上で表現しているのが大半だった。となると、ここにきてこの二人が観た(経験した)以外の視点からの描写(頼母から)はあり得るのか…という点でです。

 

①に関しては、そもそも斎藤は「離れていた」場所にいた=あの場にいなかった、のだから土方自らの口から「斎藤、」と名前を出して話しかけているのはおかしいはずだ。それなのになぜこのような描写になっているのか。

 

ここでキーとなるのは「後で頼母さまから聞いた」、「伝聞」であり…要するに頼母から斎藤へ言葉を受けとったということに繋がるのではないか、と。

 

・頼母と土方が酒を飲み交わす→実際頼母が経験したことであり、斎藤はその話を聞いた。

・土方から斎藤へ声を掛けるシーン。→実際には書簡または言葉として土方から斎藤へ伝えるようにと頼母に託されていた(?)、

 

 あの舞台上にいた斎藤は戊辰戦争時代の斎藤(過去)ではない、鑑賞者としての齋藤(現在)であったはず。

頼母から伝え聞いた言葉を土方が斎藤に話しかけているように見せることは出来る、表面上は土方(過去)と斎藤(現在)の対峙が視覚的には単に土方と斎藤の対峙に見えるのだ。(これは物語最初の方の容保「壬生の狼に負けないモノを~」と本来その場にいないはずの貞吉(現在)の目の前で言うシーンと同様だ)

 

まるで二人が同じ時にいて言葉を交わしているような錯覚を観客に見せていた。

あくまで干渉することはなかったし、できないはずだった…

が、大千秋楽。

ついにその均衡が崩れた。

 

土方の「お前は犬死するようなやつじゃない、生きろ」という言葉に対して

斎藤が「土方さん、今までありがとうございました」と言葉を口にしたのだ。

 

この言葉は衝撃でした。この言葉の後の土方の反応の有無がわからない限り明確なことは言えないが、仮にもし何らかの反応(頷いたり、目線をやったり)をした場合… 土下座(叩頭という言い方もあるかもしれない)をして、土方に礼を言う斎藤は一体何なのか。干渉できないはずの存在が干渉してしまった。過去でも、現在でもない、何か超越した存在として…メタとか第四の壁とか…そういう次元のものになってくるのかと思い始めて今も頭を悩ませている。

 

 でも、

 

結局のところ理屈っぽく考えても観て純粋に素敵だな、感動的だなと感じることが出来るのが一番良いにこしたことはないのだけれど。考えれば考える程魅力が深まっていくこの「もののふ白き虎」、早くDVDが欲しい。更に言えば大楽版とか全景とか、リクエストしたいことは沢山ある(そのうち一つの劇中歌の発売は叶った)

そして、再演とか凱旋とか、新撰組編とか…とにかくこの熱はまだ醒めそうにないので関係者各位のみなさま今の内ですよ!いろいろやるのは!今ならお財布の紐はゆるっゆるですよ!な~んて……久しぶりにとても素晴らしい舞台に出逢えた喜び爆発中のブログでした☆